私のお友達のハナシ

お久しぶりです。しばらく更新していませんでしたが、そろそろ書こう!とこのサイトを開きました。そのきっかけはちょっと前にジャニヲタの受験期を綴ったブログを読んで、

「私はどうだったかな?」と思い返したことがはじまり。

あともうひとつ。

先日20歳の誕生日を迎えました(私情)
この時に小学校から高校までずっと同じで、大学は離れてしまったけど今も仲の良いい子からLINEがきました。この内容が受験期とリンクしているので少し綴ってみようと思いました。

この子のことを「なっちゃん」と呼ばせていただきます。

なっちゃんとはず〜〜っと仲良し、互いに「なっちゃ〜〜ん!」「◯◯◯ちゃ〜〜ん!」とくっつき虫のように小学校から中学校を過ごし、高校も「同じクラスになりたい」と毎年願いながら過ごし、2年と3年の時に同じクラスになることができました。なっちゃんとは歳をとるほどいい関係を築けるようになり、ただベタベタするのではなく、深い話とか悩みとか励まし合いとかそんな時に深く関わる、高め合える関係でした。

ですが、受験0期を迎えてから、これまではしていた勉強の話をしなくなりました。希望している大学の学部も同じ、将来の夢も同じ、なのになっちゃんは1人で突き進むようになりました。抱え込みやすいなっちゃんを心配して声をかけてもサラッと交わされるような、そんな、ちょっとした距離ができてしまったのです。
でも、なっちゃんツンデレ使いだったので「またいつものか〜〜!」と全然気にしていなかった私。それを後悔しました。

なっちゃんはどんどん1人で、突っ走り、誰にも頼らなくなりました。手を差し伸べようとしても私は受け入れてもらえず、「なんでだろう……」と思いながらも、なっちゃんなりに頑張るならと半ば諦め気味に、追いついていない自分の勉強をすることにしました。


模試の結果が悪くて私が落ち込んでいる時、廊下でなっちゃんが座り込んでいました。「なっちゃんも結果良くなかったのかな?」と思い「私も成績悪かったんだ……」と話しかけにいきました。そこでなっちゃんは「◯◯◯は私より出来るからいいじゃん」と言ってきました。




悲しかった、傷ついた、というよりも、びっくりした。でした。



ここまで追い込まれて、苦しんでいるのかなと不安になりました。その後も1人で悔しそうに泣きながら勉強するなっちゃんを見ながらどう接すればいいのかが分からなくなりました。



勉強してるだけなのに、

友達との接し方が分からなくなる



そんなことが起きるのかと、心底受験期を嫌いました。

日常会話を全くしないということにはならなかったけど会話の回数は圧倒的に減り、「なっちゃん最近どう?」なんて話しかけることも出来なくなりました。

最終的に2人とも無事に進学先が決まり、よく話すようになり、大学の愚痴とか、悩みとか、昔の2人に戻ったようでした。なっちゃんツンデレは健在で、そんなものには負けない鋼のハートを持つ私は懲りずに「なっちゃんなっちゃん!」と追いかけていました。自然に仲が戻ったのも互いに空気を読んだからなのか、それはよく分かりません。ですが互いの合格は抱き合って喜びました。気まずくなったようで気まずくなっていない?そんな曖昧な感じでした。

大学1年の時も2年の時も、なっちゃんの帰省時期に暇があれば会って、ランチをして、またいい関係になれたな〜〜と私は密かにその喜びを噛み締めていました。いつもの感じ、この空気感の居心地は本当に良かったです。

そんなこんなで誕生日の時、長文のLINEがきました。
「20歳の節目だから思っていることを書きます」とあり、あの受験期のことに触れてきました。去年もLINEが送られてきましたが、受験期の話をしたのはこれがはじめて。

「根気強く話しかけてくれた受験期の◯◯◯の優しさは一生忘れんやろなあって思います」

この文を読んだ時に涙が止まりませんでした。こうやって気を遣えるところが好きだし、気まずいところを解消させてくれたなっちゃんの優しさにまた助けられました。ちょっとタブーだった受験期がこんなにも綺麗な思い出に変わることがようやくできました。

「しっかり者だよ」「悩みなさそうだね」とよく言われる私にいつも「抱え込みすぎるから」「無理しちゃダメだよ」と言ってくれるのはいつもなっちゃん。さすがに自立しなくちゃと思うけど、この子の存在は私の学生生活で欠かせない人だなと改めて思い知らされました。

いつも私に逃げ道をくれてありがとう。時には逃げてもいいとなっちゃんが教えてくれました。

成人式の時に誓った「またおっきくなって会おう」を実現するために大学3年生も頑張ります。

グダグダと私情を並べましたが、伝えたいことは受験期には勉強以外の悩みも増えてしまうということです。そんな部分がストレスになってしまうかもしれないですが、どうか1人で抱えないで、愚痴りあって助け合える存在に出会うことが大事なのかなと思いました。自分以外の存在はプレッシャーになることも力になることもあります。どうか前を向き続けることを忘れさせない出会いに恵まれますように。高校の縁は一生ものといいますが本当にそうだなと私は実感しました。辛い時も今を生きるいい糧となっているのであの日々も無駄じゃなかったと胸を張れます。

踏ん張って、その踏ん張った先にある希望をどうか大切な人と分かち合えますように。